「わぁ、綺麗。夜景がきらきら輝いてる」
「だろう? 意外と近くに見えるんだよ。七海なら、気に入ってくれると思ったんだ」
目を細める智洋くんは、私より三歳年上の二十八歳。同じ会社の先輩だ。今夜は智洋くんとドライブに来ている。
海岸沿いに車を停めて、車内からネオンで輝く大きな橋を見つめていた。ここは、デートスポットで有名な場所だ。
私たちは大手自動車メーカーに勤めていて、同じ営業部に所属する仲間でもある。智洋くんは営業職の中でも期待のホープと呼ばれていて、私は彼の営業アシスタントをしていた。
会社でも一緒にいることが多い私たちは、実は一週間前から付き合っている。だけど、同じ部署ということもあり、周りにはまだ話せないでいた。
秘密の関係ということが最初はいい緊張感になっていたけれど、一週間経ってみると、不安が徐々に増してくる。
彼は会社の人たちに、いつ私との関係を話してくれるのだろうか?
「七海。二人でいるのに、ボーっとしすぎ」
「あっ……。ごめんね」
智洋くんは、まるで私に“お仕置き”とでも言いたそうに、半ば強引に唇を塞いだ。私の耳元に手を置いて引き寄せる様は、彼お得意のキスの仕方。
私はその強引さにときめきつつ、やっぱり不安を拭いきれないでいた。
「なにを考えていた?」
智洋くんの吸い込まれそうな瞳に見つめられると、つい甘えたくなってくる。それに、ワガママも言ってしまいそう。
「あのね、会社の人にいつ話してくれるのかなって。その……、私たちのこと」
彼の反応を窺いながら言ってみると、一瞬バツ悪そうな顔をされた。それは思い過ごしではなく、一気に心に不安が広がる。
「そのことか……。もう少し待ってみないか? ほら、今は仕事が忙しいだろ?」
「うん、まあ。そうだよね」
たしかに、今は新車キャンペーン期間で、会社はそのプロモーションに必死だ。智洋くんや他の営業さんたちは、ディーラーの管理やフォローで激務が続いている。
そんななかで私たちの交際を報告するのは、あまりに空気を読んでいない行為かもしれない。これ以上彼を困らせたくないし、納得するしかない。
「よかった、わかってくれて。七海が不安に思うことなんて、なにもないよ」
智洋くんはそう言うと、私にもう一度キスをした。彼の気持ちを疑うつもりはない。だけど、智洋くんは女子社員からとても人気がある。
なにせ、仕事がデキる上に、甘いルックスをしたイケメン男性だから。そんな彼と、ごく普通の女子である私が付き合っていること自体、どこかリアルさがないくらい。
せめて“公認の仲”にならないと、心配が尽きない毎日を送ることになりそう。早く、智洋くんと恋人同士ですと、堂々と言いたい──。
翌日、出社をすると、新人の美貴ちゃんが智洋くんのデスクへ向かっていくところだった。
「田島さ~ん。おはようございます。あのぉ、お聞きしたいことがあるんですけど」
と、いつもの猫なで声で彼の隣のデスクへ座る。そこは他の営業さんの席で、彼女は椅子を引いて、智洋くんのほうへ寄せた。
「加藤さん、なに? 朝から熱心だね?」
ニコリとする彼に、美貴ちゃんは満面の笑みを浮かべている。彼女はこの春入社したての新卒の女の子で、小柄で子犬のような雰囲気をしている人。
どうやら智洋くんに一目ぼれをしたようで、この半年以上、なにかというとあの甘ったるい声で彼に声をかけていた。
「ねえ、七海。まさか田島さんって、美貴のことが好きなんじゃないよね?」
「そんなこと、ないわよ」
同期の綾子に耳打ちをされ、思わず声を大きくしてしまった。すると、私たちよりひとつ向こうの島にいる智洋くんが、こちらに気づいて苦笑している。
「おいおい、相原に片山。朝から、ちょっと騒々しいぞ?」
「すみません……」
綾子と二人で小さくなりながら、業務を始めた。こういうとき、智洋くんは必ず私の名前から先に呼んでくれる。些細なことだけれど、そこに私なりの彼からの“特別”を感じられて嬉しい。
だけど、美貴ちゃんの存在は、私の心をかき乱していた。
彼女は、私たち女子社員からのウケは相当悪いけれど、男性社員からはとても可愛がられている人だから。
だから、密かに美貴ちゃんを狙っている男性社員は多い。とはいっても、智洋くんは私と付き合っているのだから、彼女を好きなわけがない。
そう自分に言い聞かせてみるものの、彼の美貴ちゃんへの柔和な態度に不安を感じずにはいられなかった。
もし私が智洋くんの彼女だとわかったら、美貴ちゃんはどんな反応をするだろう。もしかしたら、それでも彼を狙ってくるかもしれない……。
「加藤さんが、俺に好意を持ってる?」
「なんとなく、そんな気がするんだけど……」
昼休憩になり、智洋くんとこっそり空き会議室で昼食をとっている。私たちのオフィスは三十五階建てのビルに入っていて、他企業の本社や支社も混じっている。
そのなかで、二十五階から最上階までを私たちの会社が占めていた。だから、空き会議室もそこそこあり、お昼を部屋で取る人もいる。
今日は休憩時間がお互い一緒だったから、私のほうから彼にメールを打っておいた。
「どうなんだろうな。直接、彼女から言われたことはないけど」
「でも、智洋くんも薄々気づいてる?」
彼の歯切れの悪い返事に、モヤモヤが募ってしまう。美貴ちゃんの態度はあからさまだから、きっと智洋くんも勘づいている部分はあると思うのだけれど……。
「わからないな。それより、せっかく二人きりなのに、加藤さんの話ばかり?」
「え? それは……」
美貴ちゃんのことを聞き出したくてここへ誘ったのは事実だから、返事に戸惑ってしまった。智洋くんは、コンビニのお弁当に入っていたイチゴを私の口元に持ってくる。
「ほら、七海の好きなイチゴ。あーんして」
「い、いいよ。自分で食べられるから」
恥ずかしさがマックスになり、私は照れ隠しに両手を顔の前で振る。すると、彼にクスクスと笑われた。
「今さら恥ずかしがることじゃないだろ? お前が余計な心配をしているみたいだから、そんなことはないって言いたいだけ」
そう言いながら、智洋くんはイチゴを私の唇にくっつける。観念した私は、少し口を開いた。
「彼女が俺を好きだとしても、それはそれ。七海が気にするようなことじゃないよ」
「うん……」
イチゴが口の中へ入ってくる。甘くて柔らかいそれを噛んでいると、智洋くんが穏やかな目で見つめてきた。
「なかなか会社で二人きりになることもないし、キスする?」
「そういうこと、口に出されると恥ずかしいよ……」
顔が熱くなっていくほどに、気恥ずかしい。だけど、智洋くんは私の頬に優しく触れ、そして静かに言った。
「もう一回、口を開けて」
「こう……?」
控えめに口を開けると、彼の濃厚なキスで唇を塞がれた。
智洋くんが気にするようなことじゃないと言うから、極力意識を向けないでいた。だけど、美貴ちゃんがどうしても気になってしまう。
だって彼女は、常に智洋くんの話ばかりをしているからだ……。
翌日、美貴ちゃんからお昼に誘われてしまった。オフィスビル近くのカフェに二人で来ている。
「七海先輩も、田島さんのファンですか?」
「ファンっていうか……」
私は彼の恋人だと出かかった言葉を飲み込む。口をつぐんだ私に、美貴ちゃんは目を輝かせた。
「もう、先輩ってば真面目なんだから。ファンになっちゃえばいいのに。田島さんは、本当にモテるんですよ」
「知ってるよ。ちらほら噂に聞くもの」
「ちらほらなんてものじゃないです。私の同期全員ですよ」
「ほ、本当?」
美貴ちゃんの同期が何人かなんて知らないけれど、他部署に数人いるのはわかっている。時々、一緒にランチに行く姿を見ることがあるからだ。
「本当ですよ。カッコいいし、仕事は出来るし」
「そっか。それは、私も納得するな」
やっぱり智洋くんが褒められると、嬉しくなってくる。表情が緩みそうになるのを引き締めて、彼女に視線を向けた。
「でもぉ、ちょっと不安もありますよね」
「え? どんな不安?」
「あれだけモテるんなら、女性に軽いんじゃないかって。田島さん、ちょっと周りの女性に優しすぎるところがあるから」
そんなことはないと、美貴ちゃんに対してムキに反論しそうになり、言葉を呑み込んだ。彼が優しいのは、相手が自分より後輩だからだ。現に、男性社員にも優しく接している。
だけど、智洋くんのことをあまり庇うようなことを言うと怪しまれるかもしれない。不本意だけれど、ここは冷静になろう。
「そんなことないんじゃない? それに、そう思うなら田島さんを狙うのをやめたらいいのに」
「やめませんよ。田島さんはレベルが高いので。それに私なら、彼をつかまえておく自信がありますから」
美貴ちゃんは強気なその言葉どおり、鼻でふふんと笑ってみせた。そんな彼女に、内心呆れと若干の苛立ちを覚えながら尋ねてみる。
「そうそう、今日はランチに呼んでくれたでしょ? なにか相談?」
智洋くんの話はこれで終わりにしたい。そう思って話題を変えてみると、美貴ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「それですよ! 七海先輩、田島さんとのキューピッドをやってくれませんか?」
<つづく>
次回は2月1日(金)20時に更新!
本日から4夜連続で公開していくので、ぜひお楽しみに♡
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