「っふ、……ん、!」
「先輩……」
亜加梨の自宅は、アパートの三階にある。四階建てでオートロックはついていない簡素な作りだが、古いエレベーターはついており、それに揺られる最中も、終始槙人は亜加梨の手を離さなかった。
鉄製のドアに鍵を差して、部屋になだれ込んだ瞬間、手を引き寄せられて唇を奪われた。
急なことに亜加梨は目を見開いて、声を漏らす。先輩、と掠れた声で呼んだ槙人は、キスが濡れた頃そっと顔を離した。
「……すみません。靴、脱ぎましょ」
もたもたとパンプスを脱ぎ、槙人を部屋に通す。1Kなので玄関からキッチンを通ってしまえば、すぐにベッドだ。
せめて、このベッドに来てからのことだと思っていた。『ここが先輩の部屋ですか』なんて白々しい雑談をして、『テレビでも見る?』とそわそわ焦れったい時間を過ごして、その後、寝るというタイミングで身体を任せるような想像をしていた。
まさか玄関先でキスをされるなんて、予想外の強引さにドキドキしてしまう。今夜を逃がす気はないという強い意志のようなものを、槙人の表情から感じた。
「……水飲む?」
「もらいます。先輩、ジャケットここにかければいいですか?」
亜加梨はスーツのジャケットをソファに脱いで、冷蔵庫のミネラルウォーターを取りに向かう。槙人は壁にあったハンガーにジャケットをかけてくれていた。
面倒の見方が手馴れている、と亜加梨は思う。普段の槙人とまるで違う顔に、どう接していいのか分からなくなってきた。
ミネラルウォーターのペットボトルは、ちょうど二本あった。差し出してお互いに喉を潤すと、槙人が優しく口を開く。
「酔い覚めてきましたか?」
「うん」
「……気持ち悪くないです?」
「……うん」
会社ならば、亜加梨が話して槙人が返事をすることが多い。ここは亜加梨の家なのに、まるで主導権を握られたようにいつもと真逆だった。
ソファに座る槙人と、床のラグで膝を抱える亜加梨。離れていた距離を槙人がそっと詰めて、床の亜加梨を覗き込んでくる。
「なんか可愛いですね、先輩」
「え?」
「大人しいっていうか……会社にいるときと全然違って、戸惑ってます」
「何、会社では可愛くないってこと?」
つい普段の先輩口調に戻ると、槙人は可笑しそうに笑った。その笑顔は、屈託のない後輩の顔ではなく、慈しむような優しい顔だ。亜加梨はドキッとして、またすぐに口を噤んでしまった。
「いや、そういう意味じゃなくて――」
もう一歩、近づかれる。亜加梨の頭を手のひらで包み、槙人はその整った顔を寄せてきた。
「ドキドキするってことです」
「……――っ」
囁いて唇を近づけられ、ぎゅっと目を瞑る。すぐにキスが降ってくると思っていたがしかし、数秒の間何も起きなかった。
「…………?」
亜加梨が薄く目を開けると、槙人と目が合った。薄茶色の透き通った目が、意地悪そうに微笑む。
「先輩のキス待ち顔、可愛かったです」
「~~っ! 生意気――っん」
言い返そうとした途端、今度は性急に唇を塞がれた。このまま食べられてしまうのではないかと思うほど、切羽詰まったように貪られる。上唇を啄む槙人の口から、ほのかなアルコールのにおいがする。それから、興奮した呼吸が間近で聞こえる。
「ふっ――っ、ん、っ」
「南先輩……」
ちゅっと可愛い音の立つ小さなキスを送られたあと、槙人は唇を離して亜加梨を呼んだ。荒いキスとは正反対の、切なげな声だ。
「何……?」
亜加梨はほぼ無意識に、槙人の髪を撫でた。初めて触れたふわりとしたくせっ毛は、くすぐったく指の間に絡む。
強引かと思えば優しく、意地悪かと思えばしおらしく、さっきから色んな槙人を見せられて、翻弄されている自覚がある。亜加梨は、もっと槙人を知りたいと思っている自分をもう抑えられなかった。
槙人はじっと亜加梨を見つめ、捕らえるように言った。
「好きです、南先輩」
「え……?」
突然のストレートな言葉に、心臓を射貫かれたような気持ちだった。好き。この声色は、真剣なそれだと亜加梨にもちゃんと分かる。何で? いつから――あの資料室のキスは、わざと? 聞きたいことが山ほどあったが、亜加梨が口を開く前に、槙人が言った。
「すみません、もう無理です」
「――――っ!」
油断していた唇に、直接舌がねじ込まれる。柔らかい槙人の舌先が、口の中で亜加梨の舌をつついた。ぴちゃ、と唾液が絡まる濡れた音が二人の間で聞こえ、ぞくりと身体が震える。
「ん……っ、は」
亜加梨がそっと舌を伸ばすと、すぐに絡め取られ、もっと深く口の中を潜ってきた。舌先で舐められたかと思えば、上顎の敏感な部分をぬるりと撫でられる。
すっかり力の抜けてしまった亜加梨の口の端から、とろりと唾液が溢れた。つ、と顎に伝う雫を、槙人が舐めとる。
「はぁ……っ、ん」
キスがこんなに気持ちいいのは初めてかもしれない、と亜加梨は思った。ひとつひとつの動きが優しく柔らかい。キスでこんな風にされたら、この先どうなってしまうんだろう――亜加梨が期待と不安を抱き始めた頃、見計らったように槙人の手がシャツの下から滑り込んで来た。
「ふ……っ、や、」
ちっとも嫌なんて思っていないのに、思わず頭(かぶり)を振ってしまう。直にするりと腰を撫でながら、槙人は亜加梨を持ち上げて、ベッドに押し倒した。
「嫌でも、止まれないですよ、今さら」
自分がいつも寝ているベッドの上に、槙人が乗っている。そんな違和感のある状況に、ひどく興奮してしまう。
何度も何度も落ちてくる柔らかいキスに応えながら、亜加梨は首を振った。
「違……っ、ん、嫌じゃない、から……」
「…………」
「やじゃない……きもちい……」
そう言った瞬間、槙人はぎゅっと眉を寄せて、険しい顔をした。突然体重をかけられ、亜加梨の脚に固いモノがぐりっと当たる。
「あ……っ、不二野く、」
「酷くしたくないんで、煽らないでください……」
槙人は、ふーっと、荒い呼吸を整え、額にキスを落としてきた。ちゅ、ちゅ、と唇が降りてくる。瞼、頬、こめかみ、耳。ぱくりと耳たぶを食まれると、「っあ」と声が出て亜加梨の身体がしなった。
「耳、感じるんですね」
「んっ……あ、あ」
耳孔にぐちゅりと舌が入ってきて、わざとらしくぴちゃぴちゃと舐められる。直接脳に届くような濡れた音に、亜加梨は自分の身体が疼いていくのが分かった。
「んんっ……」
「ふ、可愛い、先輩」
耳の奥の音に翻弄されている内に、槙人の手は亜加梨のシャツのボタンを外していく。左手ではぐっと肩を抱き寄せてくる。閉じ込められて、暴かれていく。
ふるっとブラジャーが飛び出た瞬間、槙人の喉がこくりと鳴ったのが聞こえた。
<つづく>
次回は3月28日(木)20時に更新!
ついに一線を越えた二人。明日も見逃せない♡
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